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Channel: みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”
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東京都小笠原諸島の陸軍省「父島要塞第二地帯標」

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              東京都小笠原諸島の陸軍省「父島要塞第二地帯標」

 これも佐世保市住まい、陸軍省要塞地帯標や海軍省軍港境域標の標石探しと研究をされている高橋輝吉氏から寄せられた資料である。高橋氏は佐世保のみならず、全国へも出かけ、これら標石の調査をされ、数多くの標石を見つけられている。
 本文は、東京都小笠原諸島の陸軍省「「父島要塞第二地帯標」の記録である。2007年(平成
19年)頃、地元に依頼し調査されたよう。以前に写真はもらっていた。高橋氏が当時、わざわざ父島まで出かけたかと思っていたが、そうではなかった。

         高橋輝吉氏稿  東京都小笠原諸島の陸軍省「父島要塞第二地帯標」

 東京都小笠原諸島の「父島」は、軍事本などによりますと、グアム・サイパン・硫黄島など南方方面に行く艦隊の基地でした。要塞地帯標の標石が必ず有ると思い、父島の郷土史家の方へ電話により問い合せると、「そんな標石は有りません」と初めは疑ったようでした。
 「本などによりますと、父島には陸・海軍が艦持ちにて、多くの兵科が父島を要塞化しています。港の見える所などに標石は有ります…」。こちらからいろいろな資料を送り、やっと解かってもらえました。

 世界遺産のことが有ったのかなー。戦いが長くなれば第二の硫黄島?になった島。1ヶ月位しますと、小笠原国立公園父島「中山峠」の写真と書類が送られてきました。先方は、何分不慣れなため、標石の近接写真がありませんでしたが、「S.M」と「昭和十六年一月十日」は読めます。
 もう4年ほど前の話です、父島の方からの書類をどこにしまったたかわからず、やっと2、3日前見つけました。参考のため写真・資料を送ります。 

長崎外の古写真考 目録番号:5970 富士山(2)

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           長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5970 富士山(2)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:5970 富士山(2)

 目録番号:5037 河口湖からの富士山
  〔画像解説〕
  山梨県富士河口湖町所在の河口湖畔から富士山を望んだ写真である。写真の湖面に富士山が逆さに映るため、「逆さ富士」の光景を収める目的で撮影されたものであろう。河口湖東北端に位置する産屋ヶ崎周辺から湖面に浮かぶ帆掛け船とともに富士山方向を望み撮影されたものであろう。

  ■ 確認結果

 目録番号:5970「富士山(2)」は、次の目録番号:5037「河口湖からの富士山」のとおり、山梨県河口湖から撮影した富士山であろう。
 富士山の姿や、特に雪渓の形がまったく同じだろう。

長崎外の古写真考 目録番号:6001 ロシアの軍艦

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           長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6001 ロシアの軍艦

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6001 ロシアの軍艦

  ■ 確認結果

 目録番号:6001「ロシアの軍艦」は、写真下の英文にあるとおり、艦名は「ASKOLD」、撮影地は「FROM PORT ARTHUR」、すなわち、英語表記で「旅順港」のことと思われる。

 遼東半島の中国北東部の主要な港。アヘン戦争時、イギリス海軍のアーサー中尉指揮するフリゲートが寄港したことで、ポート・アーサー(Port Arthur, Порт-Артур)の名称が欧米に知られるようになった。(ウィキペディア)

 旅順港は次の記事も参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/63921318.html

長崎外の古写真考 目録番号:6024 中国の幼児 ほか

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         長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6024 中国の幼児 ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6024 中国の幼児

 目録番号:6026 京劇の女優

  ■ 確認結果

 目録番号:6024「中国の幼児」と目録番号:6026「京劇の女優」は、整理番号の続きの作品から、〔撮影地域:中国〕と考えて良いのではないか。

長崎外の古写真考 目録番号:6495 浦カスミ

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            長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6495 浦カスミ

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6495 浦カスミ

  ■ 確認結果

 目録番号:6495「浦カスミ」のタイトルの意味がわからない。〔撮影地域:東京〕とすると、「霞ヶ関」のどこか官庁前の風景ではないだろうか。

 この外、わからない漢字をカタカナ書きなどしているタイトル作品が次のとおりある。
  目録番号: 222 静  岡 薩?峠と富士山
   峠名は「薩埵峠」(さつたとうげ)。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/61925435.html
  目録番号:5031 横  浜 横浜ばつ町の通りと群衆
  目録番号:6207 横  浜 横浜本村ガードハウス
  目録番号:6534 東  京 深川神ソウ地
  目録番号:6601 神奈川 相模大山ライ山

長崎外の古写真考 目録番号:6589 東海道 栢原

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           長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6589 東海道 栢原

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6589 東海道 栢原

  ■ 確認結果

 目録番号:6589「東海道 栢原」は、〔撮影地域:静岡〕である。地名の「栢原」は、現在の富士市「柏原」で良いのではないか。

長崎外の古写真考 目録番号:6694 九段坂と燈明台(3)

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       長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6694 九段坂と燈明台(3)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6694 九段坂と燈明台(3)

 目録番号: 244 九段坂と燈明台(1)
  〔画像解説〕
  神田方面から皇居内濠に沿って麹町の大地にあがる急勾配の坂。関東大震災後道路改正行事で緩くなった。明治4年に東京湾の漁船の目印にと燈明台が建てられた。遠景に望まれる丸天井の建物は駿河台のニコライ堂である。

  ■ 確認結果

 目録番号:6694「九段坂と燈明台(3)」は、次の目録番号: 244「九段坂と燈明台(1)」と同じ写真である。〔撮影者:小川一真〕となろう。

長崎外の古写真考 目録番号:6778 軽業師(2)

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          長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6778 軽業師(2)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6778 軽業師(2)

  ■ 確認結果

 目録番号:6778「軽業師(2)」は、古写真.jp: 幕末明治時代 日本古写真 販売のHPでは、「曲芸師」のタイトルで、〔撮影者:スチルフリード〕となっている。

長崎の古写真考 目録番号:3842 茂木街道の水車小屋

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         長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3842 茂木街道の水車小屋

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:3842 茂木街道の水車小屋
  〔画像解説〕
  明治末年に撮影された茂木街道道中の水車小屋。旅人はこの場所で休息したようで、明治初期にも同じ場所での水車小屋の写真が残されている。写されている人物は子供の行水のようである。明治初期の水車と比べると、轍が大きく改良されている。

 目録番号: 365 茂木街道(1)
  〔画像解説〕
  茂木街道は長崎から茂木への街道。写真はこの街道途中にある田上を撮影。田上はこの街道の峠になり、街道の要所であった。

  ■ 確認結果

 目録番号:3842「茂木街道の水車小屋」は、次の目録番号: 365「茂木街道(1)」と同じ場所の水車小屋を、明治末期になって撮影した写真である。建物が変わっているが、黄囲線の部分。水車小屋のすぐ側に下って写している。
 明治初期にも同じ場所での水車小屋の写真が残されているという作品を、目録番号: 365「茂木街道(1)」とすると、水車の轍は、撮影の高度差があるため、同じ大きさか、かえって小さくなったように感じる。

 目録番号: 365「茂木街道(1)」の作品は、次の記事を参照。新しくわかった古写真もある。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/47808941.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/54196768.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/59618381.html
 この場所の水車小屋は、誤解が多いため再掲した。茂木街道の明治新道(旧県道)は、2枚目古写真の右外山腹を通る。水車小屋は道途中ではない。谷間へわざわざ下る。
 上から眺めるのは良いが、休息所としてはあまり考えられない。左方に街道の道のように見えるのは、実は畑の端や水路なのである。

武巧山から烽火山・日見峠へ  平成23年5月

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               武巧山から烽火山・日見峠へ  平成23年5月

 平成23年5月15日(日)快晴。武巧山から烽火山(標高426m)・日見峠へ。参加15人。みさき道歩会の例会。きょうの目的は、烽火山頂の亀石下にある宮さんが見つけた石の刻字調べと、本河内高部ダムのまぼろしの石橋をあわよくば皆なで見る。
 中川八幡神社9時30分発ー武巧山ー烽火山11時38分着(昼食)ー中尾峠ー日見トンネル西口ー蛍茶屋14時53分着(徒歩距離 約10km)

 中川八幡神社境内内から鳴滝不動堂を通り、武功山の尾根へ上がる。大荷床から烽火山頂までもかなりの登りが続き、烽火山かま跡11時38分着。12時10分まで広場で昼食。
 亀石下にある石の刻字は、苔をはがすと「多久志与?」の4字のみ。太田南畝石の近くにも
「1919」の刻字がある石を見つけた。イタズラ書きにしては手が込み、解明をお願いしたい。

 午後は楽なコース。木場峠の分岐から右へ入り、日見峠方面へ向かう。植林内の平坦な尾根道。中尾峠13時05分着。この峠を越えて新大工町に青果業を開いた「徳永又吉之像」がある。
 日見峠上まで行くつもりだったが、途中から日見トンネル西口へ直接下る。ここにも小さな石橋がある。

 長崎街道を下り蛍橋から対岸へ渡って、本河内高部ダムのまぼろしの石橋を見に行く。G・W中は渇水でだいぶん見えていたが、その後の雨で水位が上がり、もう見えなくなっていた。代わりに一の瀬橋を見て、蛍茶屋電停14時53分着解散。
 まぼろしの石橋4月30日は、http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/64417464.html
 宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27815719.html

長崎の古写真考 目録番号:6160 高鉾島(46)

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           長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6160 高鉾島(46)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6160 高鉾島(46)
  〔画像解説〕
  戸町の背後の山から長崎湾口を撮影したものです。写真中央の島が高鉾島、右の半島の先が神崎鼻、左の突き出た先が女神です。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として、また、船が長崎港に入る際の目印の島として、外国人に知られていました。

  ■ 確認結果

 目録番号:6160「高鉾島(46)」は、同じ写真が厚木市HPのフェリックス・ベアト写真集に掲載されている。〔撮影者:F.ベアト〕であろう。撮影場所は現在の戸町墓地の上部からである。
 次の記事を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/63741236.html

長崎外の古写真考 目録番号:3998 神奈川台町の関門(2)

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       長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3998 神奈川台町の関門(2)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:3998 神奈川台町の関門(2)
  〔画像解説〕
  ODAWARAとの書き込みがあるが、実際は神奈川台町の関門。外国人殺傷事件が相次いだことを受けて、警備体制の強化のために幕府が設置したもの。神奈川では東西の二箇所に設置された。写真は左手が海側。

 目録番号:1441 神奈川台町の関門(1)    関連作品 目録番号:6326 同(3)
  〔画像解説〕
  神奈川は東海道に面した、細長い宿場町である。街道の関門が撮影されている。F.ベアトアルバムの写真である。

  ■ 確認結果

 目録番号:3998「神奈川台町の関門(2)」は、次の目録番号:1441「神奈川台町の関門(1)」と同じ写真である。〔撮影者:F.ベアト〕であろう。

野々串周辺の海岸と立岩  長崎市高浜町ほか

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                 野々串周辺の海岸と立岩  長崎市高浜町ほか

 5月17日大潮。干潮は14時35分。長崎半島の南西、野々串周辺の海岸へ出かけた。
 磯遊びの人が多い。高島・端島(軍艦島)・三瀬が近くに見える。「立岩」は、野々串漁港から左方へ海岸を10分ほど歩く。

 長崎初の恐竜化石が2004年発見され、先月、岩を切り取っている。このあたりと思い、海岸一帯を探してみたが、その跡はわからなかった。
 恐竜化石のレプリカは、 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/62178631.html

長崎の古写真考 目録番号:3805 鯉幟の揚がる町並 (再掲)

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       長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3805 鯉幟の揚がる町並 (再掲)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:3805 鯉幟の揚がる町並

 目録番号:1093 鯉のぼり(1)
  〔画像解説〕
  町中の鯉のぼり。4本の高い棒に取り付けられた4組の鯉のぼりは、風があまりないのか少し垂れ下がっている。町並みは二階建ての家が続き、手前の家の前には大八車や積み上げられた商品らしい荷物が見える。

  ■ 確認結果

 目録番号:3805「鯉幟の揚がる町並」は、次のとおり朝日新聞長崎地域版2011年5月14日「長崎今昔」に掲載された。
 目録番号:1093「鯉のぼり(1)」(掲載略)も同一写真で、〔撮影地域:長崎〕となる。
 この前の記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/64215904.html

   【長崎 今昔】 2011年05月14日  asahi.com> マイタウン> 長崎 から
      子だくさんを物語る  《鯉のぼり泳ぐ明治の街角》  
      鯉のぼりが泳ぐ明治の街角=長崎大学付属図書館提供

 長崎を特集した30枚の写真を貼り付けた蒔絵の大型アルバムの一枚です。写真の隅には英語で「コイ」とキャプションがついています。収載された他の写真から1890年ごろの撮影とわかります。

 4軒続いてこいのぼりが揚げられ、明治期の町屋の子だくさんが推測されます。店ののれんには、手前から酒屋の「いせや」、1軒おいて「近江屋」と書かれ、奥の壁には「まつだしち店」の文字が読めます。近江屋の前には子供たちがたたずんでいます。車が走らない路上は格好の遊び場でした。

 長崎では1889年から街中に電灯がともり、電線をつなぐ電信柱が立ちました。人力でひく車力やこもの酒だるなど、昔懐かしい風景です。手前の家の軒先には電球付きのランプ型の門灯がともされています。街路を歩く人にぶれがないので、シャッタースピードの速いことがわかります。

 アルバムの見開きには「ジョーダン夫妻から河村夫妻へ、長崎の親切な思い出として」と英語でペン書きされています。長崎総合科学大のブライアン・バークガフニ教授が作った居留地人名リストに照らすと、ジョーダン夫妻はスタンダード・オイル長崎支店のアメリカ人支配人J.F.ジョーダン夫妻と思われます。

 撮影者は不明ですが、原板の鶏卵紙が和絵の具で着色されていることと、隅に記されたキャプションの特徴から横浜系写真師のようです。西浜町あたりかと思われますが、場所がお分かりの方がおられましたらご一報ください。 (長崎大大学院教授 姫野順一)

長崎外の古写真考 目録番号:2610 鴨川の床の夕涼み(3)

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      長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2610 鴨川の床の夕涼み(3)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:2610 鴨川の床の夕涼み(3)
  〔画像解説〕
  鴨川四条大橋西詰南側の床の上で夕涼みに興じる舞妓・芸妓を撮影する。舞妓・芸妓のうち、左側の2人は盃で酒を酌み交わし、右の2人は拳遊に興じている。床の上には行灯や煙草盆が置かれる。背後には鴨川東岸の町並みが続き、五条大橋が見える。写真は京都の観光絵葉書のために撮影されたものであろうか。玉村康三郎撮影。

 目録番号:2161 鴨川の床の夕涼み(2)

  ■ 確認結果

 目録番号:2610「鴨川の床の夕涼み(3)」は、同じ写真がHP「OLD PHOTOS of JAPAN」に掲載され、〔撮影者:Y. イサワ〕となっている。同解説は次のとおり。
 しかし、中央2人の女性は、関連作品の目録番号:2161「鴨川の床の夕涼み(2)」など玉川アルバムに写っている。玉村康三郎撮影とも考えられる。

 撮影者: Y. イサワ
 発行元: 発行元未詳
 メディア: 鶏卵紙
 写真番号: 70820-0003
  1890年代の京都 • 納涼床と芸者</a>
 芸者が数人、京都のある料理屋の納涼床で寛いでいる。この写真は、四条大橋の上、鴨川の右岸から撮ったもののようだ。薄い着物を着た女が酒を注いでおり、右手の二人の女はジャンケンをしている。上敷きを敷いた床の上に行灯が二つ置いてある。

長崎外の古写真考 目録番号:4736 横浜停車場(4)

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         長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4736 横浜停車場(4)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:4736 横浜停車場(4)
  〔画像解説〕
  明治4年(1871)に建設された初代横浜駅。アメリカ人建築家ブリジェンス(R.P.Bridgens)の設計による木骨石造建築。現在の桜木町駅。右手は本町通りに続く弁天橋。明治4年(1871)に工部省鉄道寮が架設した3連のアーチ橋。

 目録番号: 241 弁天橋と横浜駅(1)
  〔画像解説〕
  英語で「弁天橋からの駅、横浜」と記入されている。弁天橋は明治4年に工部省が架設した3連アーチ橋。東京新橋駅と双生児の横浜駅はアメリカ人建築家ブリジェンスの設計で明治5年に完成した。

  ■ 確認結果

 目録番号:4736「横浜停車場(4)」は、次の目録番号: 241「弁天橋と横浜駅(1)」が、同じような風景を写している。
 〔撮影者:小川一真〕と思われるが、左端の船や、弁天橋奥の電柱の形が少し違う。

長崎外の古写真考 目録番号:3904 髷結い(2)

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           長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3904 髷結い(2)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:3904 髷結い(2)
  〔画像解説〕
  江戸中期以降、額髪を広く剃り上げ、髻(もとどり)を全面に向けて曲げた小さい髷を丁髷(ちょんまげ)と呼び、のち男髷の汎称となった。立って髷を結う仕事をしている男の髪形が、その丁髷である。

  ■ 確認結果

 目録番号:3904「髷結い(2)」は、古写真.jp: 幕末明治時代 日本古写真 販売のHPでは、「髷を結び」のタイトルで、〔撮影者:ベアト〕となっている。

長崎外の古写真考 目録番号:4591 王子橋(京都嵐山渡月橋か?)

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     長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4591 王子橋(京都嵐山渡月橋か?)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:4591 王子橋(京都嵐山渡月橋か?)
  〔画像解説〕
  「王子橋」という名称の橋は東京にはない。風景から見ても東京とは考えられない。「王子橋」のタイトルが正しければ、全国にいくつかある同名の橋の中では、周囲の地形からみて、兵庫県御津町を流れる揖斐川に架かる「王子橋」の可能性が高いと思われる。

  ■ 確認結果

 目録番号:4591「王子橋(京都嵐山渡月橋か?)」は、次の絵葉書のとおり京都府「宇治橋」と思われる。音読みが似てる。対岸の建物や山並みも同じようである。
 宇治橋の絵葉書は、土木学会図書館HP「戦前絵葉書|1.橋 26.京都府」から。

長崎の西空の夕日  11-04

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                     長崎の西空の夕日  11-04

 長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。
 
  写真  1      平成23年 4月23日の18時53分頃
  写真  2~ 5  平成23年 5月 6日の19時00分頃
  写真  6~ 8  平成23年 5月17日の18時55分頃

長崎外の古写真考 目録番号:2110 山間の民家 (再掲)

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        長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2110 山間の民家 (再掲)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:2110 山間の民家
 
  ■ 確認結果

 目録番号:2110「山間の民家」は、次の絵葉書のとおり「箱根旧街道」であろう。松並木、背景の山など比較。具体的には、神奈川県足柄下郡箱根町湯本山崎の風景と思われる。
 この項は次の記事を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/64343512.html

 絵葉書は、HP「岡野亮介氏のギャラリー」手彩色絵葉書 街道から。HPは撮影場所を解明していない。
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